きのう、小雨のなか神田神保町へ写真を撮りにゆき、
帰る頃には雨もあがっていたので、長靴で散歩がてら九段下まで。
そして、生まれてはじめて、参拝しました。
夕刻の靖国神社。
ゴー宣道場に参加して、いまだ参拝したことがないのは私だけ、
とはいえ、日々の生活リズムのなかで千代田区は圏外だったので
なかなか足を運ぶタイミングがありませんでした。
高森先生から「ご案内しますよ」とお声掛けいただいており、
先日は、道場の帰り道、笹さんからもお誘いいただいて、
機会を作らないとなあと思っていたところでした。
ニュース映像や報道写真なんかでたびたび目にはしていた靖国神社。
はじめて足を踏み入れて、まず、圧倒されてしまいました。
「こんなに立派な神社だったの!?」
伊勢神宮と出雲大社、ご縁あって大きな御社は見慣れている私ですが、
最初の鳥居、次の鳥居、そして、その両脇の大きな大きな石燈籠。
靖国神社の参道を歩いてゆくと、そのあまりの荘厳さに、
まるで自分が小人になったような感覚に陥り、同時に『新戦争論1』で読んだ、
少女学徒隊の言葉が頭のなかに響きました。
「戦場の花と散ったときは、戦死扱いで、
軍人と同様に靖国神社へ行けるんですって!」
「私たちの卒業証書は靖国神社の入場券になる」
そして、思いました。
ああ、この立派な参道は、多くの参拝者のためというよりも、
英霊となった多くの魂を御迎えするにふさわしいものとして造られたのだな・・・
遊就館はすでに閉館しており、ガラス越しになかをのぞくのみでしたが、
参拝を終えて、本殿に背を向け、ふたたび立派な参道を歩きながら、
こう考えずにはいられませんでした。
この靖国神社に、いま、まともに顔向けできる政治家がどれだけいるんだろう。